トラベルホリックの放浪記

私の生きがいである旅、ワーホリで経験したことなどを綴ります。

語学学校卒業後【仕事&家探し】


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語学学校卒業に向け、引っ越しの準備や、仕事探しを始めました。

 

 

 

 

就職活動

まずは学校に通っているうちに、レジュメを作成し、先生に添削してもらいましょう。

 

 

 

私はこの時作ったレジュメを、その後3カ国とも少しづつ修正を加えながら、今でも使っています。軽く例文を乗せるので、参考にしてもらえればと思います。

 

 

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韓国系レストラン

レジュメを作成したら、印刷してもらい、直接自分の住んでいる街にあるお店に持っていきました。

 

 

しかし、私の住んでいたところはとても小さい町で、一件面接したものの不採用となってしまいました。

 

 

 

その敗因として「3カ月後には南島に移動するため、それまで働きたい」と、素直に言ってしまったからです。私のVISAはまだ、11カ月も残っていました。採用する側は勿論長く働いてほしいと思っているため、このようなことは正直にいうべきではありません。

 

 

鉄板焼きレストラン

その後、日本語サイトに載っている求人情報で、日本食鉄板焼き屋さんの面接に行きました。

 

 

 

そのレストランはバスで30分。歩くと45分の立地にあり、3週間のトレーニングをしてもらえることになりました。

 

 

 

トレーニングとは、試用期間のようなもので、通常の時給よりも安く働くことが多いです。そして本採用になれば、本来の時給で働くことになります。

 

 

 

トライアルとは1日だけ働いて動きを見てから採用するかを決める制度で、大抵お金は出ませんが、賄いが食べられることが多いです。

 

 

 

どちらも法律でお試しとしてタダで働かせられる期間というものは決まっています。もし、無給で1週間働けと言われたら、違法であるため、断りましょう。

 

 

 

ろくに英語を話せなかった私には、日系とはいえウエイトレスとして働くには早すぎました。スタッフは何故か中国人だらけだったのです。

 

 

 

更に普通のレストランとは違い、コース形式でサーブをしなければいけない、まあまあの高級店だったため、英語力云々の前に、ウエイトレスとしての腕も必要でした。



 

 

3週間後トレーニングを経て不採用となりましたが、家から遠い職場に通勤するのが億劫で、仕事内容自体が自分にあわないため、不採用になって良かったです。

 

 

 

トレーニング中も本来のお給料はしっかりもらえたため、サーバーとしての動きに自信のある経験者であれば、良い職場だったのではないでしょうか。

 

 

 

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鉄板焼きのお肉は高級なので、賄いはスタッフ専用に作られた、こんな感じでした。

 

 

 

 

ラーメン屋さん

3つ目にアプライしたのは、友達が情報をくれた、私が住んでいた町のラーメン屋さんが、ディッシュウォッシャーを募集しているとのことで、1日のトライアルをしましたが、お皿を割ってしまい、不採用。

 



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それでも、トライアルの日のラーメンは食べさせてもらえました。

 

 

 

 

 

オークランドに住み、VISAが11カ月残っていて、夏の繁忙期に仕事が決まらないなんて、思ってもみませんでした。

 

 

ここまで失敗を重ねると、だいぶ心折れてしまい、就活を一旦諦めて、旅行に行った後は、北島から南島に移動することを決意したのでした。

 

 

フラット探し

日本語では、シェアハウスと呼ばれる住居形態を、ニュージーランドではフラットと呼ぶことが多いです。

 

 

 

皆が日本語サイトや、学校のアドバイザーさんが流してくれる情報で、卒業後の家を決めていました。

 

 

 

しかし、私の卒業する時期に、募集は少なく、一個だけしか内覧に行くことができませんでした。

 

 

 

日本語サイトで探したため、オーナーさんも、フラットメイトも日本人でしたが、当時英語環境にこだわりがなく、契約書を用意してくれたり、しっかりしたオーナーさんだなと感じたので、内覧後すぐにそのフラットに決めました。

 

 

 

引っ越しはクラスメイトの車を持っているサウジアラビアの男の子が手伝ってくれました。

 

 

ホームステイ先を出る時間を相談すると、その日はホストブラザーが初めてピアノを習う日だったらしく、10時には家を出てほしいと言われ、なんだかなーと寂しい気持ちなりました。



低迷期の始まり

今思えば、その町にこだわり過ぎていたのかもしれません。学校では日本人との交友関係に悩み、ホームステイの暮らしが窮屈でしたが、これからは自由に時間を過ごせると楽観的に思っていました。

 

 

しかし、学校を卒業して、かろうじて住む家は確保できたものの、仕事が決まらず、仲良くなった友達が次々に帰国し、焦りや寂しさに襲われ辛い思いをすることになるなんて、予測もしませんでした。

 

 

 

そしてそこからが、オークランドでの本当に辛い日々の始まりだったのです。