語学学校は初めてのワーホリで、友達作りのために来る人にはありかもしれませんが、正直英語の上達という意味では、無意味でした。
学校での交友関係
語学学校に行って後悔したことの理由の大きな要因が日本人との交友関係です。
語学学校の国籍比率は、タイと日本が圧倒的に多かったです。
年齢は本当に様々だし、本当に語学を勉強しに来ている人もいれば、私のようにワーホリの最初にとりあえず学校へという人も多いです。
入校した日が同じだった同期の女の子と最初はいつもつるんでいたのですが、まだ20歳で、東京の芸能人が近所にたくさん住む高級住宅街出身の彼女のわがままには、本当に辟易しました。
毎日愚痴を聞かされ、家に帰っても文句ばかりのLINEを送られ、彼女がいなければ、その環境に充分満足していた私にはストレスしかありませんでした。
大学を卒業したてで、社会人経験のない若い子たちは、大抵環境の変化に適応しきれていない子が多かったように見受けられます。
勿論、若くてもその状況を楽しんでいる人や、将来を見据えて真面目に勉強に取り組んでいるから、多少不満があっても気にしていない人もいました。
最初は、約10年も年が離れているし、私がその立場であれば、やはり辛いかもしれないと思って、面倒を見たり、我慢して付き合っていましたが、そのうち、合わない人とつるんでいることが、ばかばかしくなってきました。
海外にきてまで、日本人との関係に悩まされたくないと思いなおし、徐々にフェードアウトしていきました。
しかし、職場と同じで、同じ学校やクラスにいるとどうしてもつながりができてしまい、完全に縁を切ることは不可能でした。
他にも、男の子たちの喧嘩や、女同士のドロドロなど、トラブルにまきこまれた時は、高い費用をかけて学校に行ったことを後悔しました。
この語学学校は母国語禁止ルールもなく、アクティビティは多いけど、比較的授業内容もゆるいので、本当に友達作りのためという学校でした。
しかし、今でも連絡を取るような仲の日本人の友達は学校ではできず、苦労の方が多かったです。
外国人の友達は、今でもたまに連絡を取っている人がいます。
クラスのレベル問題
下記画像の表では6段階ですが、クラスは5段階(Elementary、Preintermediate、Intermediate、 Upper、Advanse)のレベルに分けられています。
私が最初に振り分けられたクラスは、Intermediateです。しかしその5段階の中でも更に細かく分かれていました。一つの教科書が終わるとそのクラスは全員が一段階上のレベルにあがります。
私はUpperよりのIntermediateであり、3週間授業を受けて、Upperにあがると言われましたが、ようやく慣れたのに、いきなりクラスを上げていいか疑問に思った先生が、どうしたいか私の意思を聞いてきました。
もし留まって、自分に合わないと思えば、クラス変更もできると言われたため、Intermediateに留まることを選びましたが、これが失敗でした。
このクラスを選んだことで、前述したわがままな同期の子と同じクラスになってしまったこと。
留まったことによって、実質自分の実力より下のクラスになってしまい、急に授業が簡単に感じられるようになり、モチベーションが下がりました。元のクラスに戻るか否か本気で悩みました。
しかし、私にとって、真剣な悩みでも、そのようなことを口にすると、自分のクラス以下の人たちには(Intermediateなので大半の人が該当します)、大してしゃべれもしないくせに調子に乗ってる!と思われてしまいます。
実際に、一番最初のクラスに、元々Preintermediateだったのに、学校側に何度も抗議して、無理やりクラスを上に上げた子は、同じ母国の人たちに散々叩かれていました。
しかし、同様の悩みを持っていた私は、彼女の気持ちがわかりました。
自分のレベルに合わないクラスを受けることで、時間やお金がもったいないと感じているだけであって、決して自分のクラス以下の人たちをバカにしているわけではありません。
週に1度のテストで、実力を量り、クラス変更の基準としていると言いますが、実際はクラスのキャパやバランスを考えるなど、学校側の事情が最優先されていることは明らかです。
そんな大人の事情は、義務教育であれば飲む必要がありますが、こちらは大金を払っているので、主張する権利があります。
たとえそんなにしゃべれなかったり、テストの点数が取れなくても、授業内容が自分に合わないなどの違和感を感じた場合は、周りのバッシングなど恐れずに我を通すべきです。
無事にクラス変更できた彼女は、母国の人からは批判を受けたかもしれませんが、逆に外国人の友達が多くなり、結果的に英語力も伸びていたし、そんなくだらないことで、ごちゃごちゃ言ってくるような、付き合う価値のない人とつるむより、よっぽど有意義な時間を過ごせたのではないかと思います。
ちなみに私は、結局その状況に甘んじることを選んでしまいました。しかし、それには理由があります。先生が最高だったからです。
先生については、次の記事で書いていこうと思います。